落合陽一氏ら「超・東大脳」の異才のルーツとは?東大首席作家がひも解く
東大首席卒業で、現在は東大大学院博士課程にてUXデザインやHRI(ヒューマンロボットインタラクション)の研究を行う作家の五十嵐才晴氏。彼が、情熱をこめて各界の異才に全力でインタビューを行った一冊が『超・東大脳のつくりかた』(あさ出版)です。
本書で登場する7人は、それぞれ「超・東大脳」と呼ぶに相応しい各界の第一人者ですが、今回フォーカスするのは、筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、メディアアーティストの落合陽一氏と、東京大学大学院総合文化研究科広域システム科学系教授の舘知宏氏の2人。彼らがどのような足跡を歩み、現在の立場にまで昇りつめたのかを紹介していきます(以下、同書より一部編集のうえ抜粋)。
国際ジャーナリストのもとで育った
周知のように、著名な国際ジャーナリストの信彦氏のひとり息子として生まれた落合氏は、2歳時に、アメリカのユニバーサルスタジオで迷子になったときの記憶が鮮明にあるそうです。
英語も日本語も覚束ない中、現地の人に助けられ、「言葉が通じなくても何とかなる」という自信を得られたということは、後の落合氏の活躍の礎として、重要なものだと思われます。
家庭の中で、父とニーチェを巡って論争したり、「大した命じゃないんだ、燃え尽きるまでやれ」といったハードボイルドな言葉をかけられたり、ジャーナリズム色の濃い環境であったことが伝わってきます。
2人とも小・中学校は公立校出身
一方、研究者の父・数学教師の母のもと、3兄弟の末っ子として生まれた舘氏は、自然と科学・数学への興味を膨らませ、小学校入学前にはPCでお絵かきソフトを使って遊んでいたそうです。また、木工好きな祖父の影響で工作の楽しさに早くから目覚め、小学校の夏休みの自由工作の宿題など、ワクワクしながら取り組まれていたそうです。
2人の進路選択の共通点として、小・中学校は公立校に通い、高校受験を経て、落合氏は開成高校、舘氏は武蔵高校という、いわゆる御三家に入学したことが挙げられます。
学校を選ぶ決め手が、落合氏は「文化祭・運動会が面白そう、制服のボタンが黒色だったこと」であり、舘氏は「過去問が面白かったから」と、少々趣は異なりますが。