元夫は“平成三羽烏”。ボクシングジム女性会長が明かす「苦難の乗り越え方」
「液体窒素で全身を冷却することでケガの予防・治療、疲労回復、そして炎症の抑制とさまざまなリカバリーができます。アメリカでは、アルツハイマーやうつ病の治療にも用いられています」
機器は最新のアメリカ製だというキャビンの前でそう語るのは、港区麻布十番「℃RYO TOKYO(クライオトウキョウ)」代表で(一財)日本クライオ療法推進協会の代表でもある渡久地聡美さん。クライオセラピーとは、全身を-120~190℃の超低温で2~3分間冷却することで人間が持つ自然の免疫反応を活性化させる施術法だ。
そのクライオセラピーを日本でもさらに普及させようと奮闘中の聡美さんには、もうひとつの肩書きがある。「ピューマ渡久地ボクシングジム会長」である。
夫は“平成三羽烏”と呼ばれたプロボクサー
聡美さんの元夫でボクシングジムにその名を冠しているピューマ渡久地、本名・渡久地隆人さんは、“平成三羽烏”と謳われたボクシング界のホープだった。リングネーム通りの獰猛なファイトぶりは多くのファンを魅了した。
隆人さんの現役時代、ボクシング専門誌のライターをしていた筆者は何度も取材させてもらったが、彼ほど純粋で思いやりがあり面倒見のいいボクサーも珍しかった。その純粋さゆえにリング外でもたびたびアクシデントに見舞われたものだった。
残念ながら三羽烏のなかでただ1人、世界チャンピオンのベルトを巻くことはできなかったが、引退後の2001年、東京・東麻布にボクシングジムを開いた。ジムオープンのパーティーで、スピーチの途中で感極まって嗚咽する隆人さんの姿をよく覚えている。
目標を失った夫のためにジム開設に奔走
「引退前後には、なにか目標を失ったようでした。それが、いろんな方々に支えられ、今度はジム会長という新たなスタートが切れて、こみ上げるものがあったのでしょう」(聡美さん、以下同じ)
じつは、ジム開設を主導したのはどちらかといえば聡美さんだった。銀行に何度も断られても足しげく通い、ついに融資を取り付けた。東京タワーの麓にあるジムの場所を見つけたのも聡美さんだった。
「最初は、『おまえが勝手にやったことで俺は重い責任を負わされた』と怒っていましたが(笑)、いざスタートすると、本当に一所懸命取り組みました。恩師であり、自分を息子のようにかわいがってくれた興南高校の金城眞吉監督(故人)の影響が強かったのかもしれません。場所柄、朝に来たいという練習生もいたので朝7時にはジムを開け、休憩をはさんで夜10時まで、毎日熱心に指導していました。プロになる選手をうちに住まわせていたりもしたんです」