東大前殺傷事件、17歳犯人も陥った「努力して成功する」ファンタジーの危うさ
「東大理三」という、ちっぽけな夢が崩壊したとき
そこで、事件を起こした男子高校生のエピソードを振り返りたいと思います。中学生の頃から成績優秀だった少年にとって、教育という自助努力による立身出世は魅力的だったはずです。
しかし、猛勉強の甲斐なく成績が下がり、“理三は無理だ”と自覚したときに、そのシナリオは崩壊した。サクセスストーリーが“自己変革の物語”にすり替わってしまったとすると、一連の奇抜な言動にも納得がいきます。
口ひげを生やし、大日本帝国について一席ぶつ。芦田愛菜の素晴らしさについて熱弁をふるったかと思えば、同級生の女子に、「僕の賢い遺伝子の子をつくりたい」と告白したこともあったそう(『週刊文春』1月27日号)。至るところで自我を暴発させては、それによって自らを偶像化させていくという悪循環です。
自助努力カルチャーが抱えるいびつさ
命がけで勉強に励んだ姿からは想像もつかないほどに、ひとりよがりで稚拙な言動の数々。これこそ、シーモアが指摘する現代の自助努力カルチャーが抱えるいびつさだと言えるものでしょう。
どこまでいっても、“自分、自分”で完結させられてしまうのですね。見てくれや言動を変えて虚勢を張れているうちはよかったのですが…。
真面目であればあるほど、自分の責任で処理しようとするから、どんどん自己完結の蟻地獄に落ちていく。これが、今日の“努力”の恐ろしいところなのです。