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元巨人・“満塁男”駒田徳広「“脇役”の僕がプロで生き残れたワケ」

暮らし

大学出には負けたくなかった

駒田さん

店内には駒田さんにまつわるアイテムが並ぶ

――高校から飛び込んだプロの世界、いかがでしたか。

駒田:常勝軍団で常に「紳士たれ」という球団だったから、コーチ陣も、寮長もとにかく厳しかったですね。最初から怒られてばかりだったけど、人としてのあり方を教えてくれたことには感謝しています。

 当時は高卒が多かったけど、やはり大学出には負けたくなかったので、1年目から鼻っぱしらは強かったと思います。僕は体が大きいから、「ホームランバッターとして育たてなきゃ」という葛藤が首脳陣にあったんでしょうね。

 ただ次第に自分はスラッガーではないと思うようになっていました。原辰徳、(ウォーレン・)クロマティと比べたら自分は脇役だったんです。ホームランバッターは甘い球を逃さないし、苦手なアウトローがきたら三振でも仕方ない。でも僕はギリギリのコースに放られた球を、なんとかヒットにするのが仕事だと思っていました。ワンナウト満塁から一人でも還す。そうすればファンも喜ぶし、僕も給料をもらえる。

天才の一言で片付けてはいけない

駒田さん

血の滲む練習を乗り越えたからこそ結果が出せた

――私たちの脳裏には悪球を打ち返すイメージが強く残っています。

駒田:それは、球を上手にセレクトできないから。僕だって来た球をぜんぶ打つわけでないですよ。とはいえ打たなくちゃいけない時がある。僕がボール球をヒットにできたのは、才能もあるだろうけど、努力もしていたから。歌手でも俳優でも、人は自分より圧倒的に能力にある人を天才と呼びたがる。「あいつは天才だから」っていえば安心できるんだろうね。

「悪い球を打つのが天才的にうまかった」って僕のことを褒めてくれる人がいるけど、1軍で生き残るため、努力と相手を研究してきたらからできた。だから悪い球も打たなくてはならなかった。

 プロの世界で生き残るために、アウトにならないこと、どんなボールにだって食らいつく覚悟があったってことなんですよ。

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