元巨人・“満塁男”駒田徳広「“脇役”の僕がプロで生き残れたワケ」
巨人・横浜で活躍し、“満塁男”の異名を持つ駒田徳広さん(58)。引退後は野球解説者だけでなく、実業家としても精力的に活動している。コロナ感染で飲食業は苦境が続くなか、9月1日には品川区の西小山駅近くにバー「koma’s house」を開店している。
駒田さん自身も機を見て店に立つという。現役時代のお酒の思い出、プロ野球選手のセカンドキャリアなどについて話を聞いた。
原さんは太陽みたいな人
――野球選手といえばお酒が強いイメージがありますが、現役時代のお酒の思い出を教えてください。
駒田徳広(以下、駒田):昔からお酒は好きでしたね。酒でコミュニケーションを取る時代だったから、入団してからは先輩が毎日のように飲みに連れていってくれました。飲むと楽しくなるし、お酒が好きだったんでしょうね。テレビで見ていた先輩に呼ばれると嬉しいですし。
当時の巨人はスター軍団で、偉大な先輩たちと一緒に練習していることが信じられないくらいで。なかでも原(辰徳)さんは、酒の場でも、どんな場でも、いつも明るい太陽みたいな人だった。ここまで飲んだらダメってのがわかっていたから、酒の場での致命的な失敗はありません。本当だよ(笑)。
――プロ野球選手として成功をおさめた駒田さんですが、もともとプロ志向は強かったのでしょうか。
駒田:僕の高校(桜井商業高校)は公立だし、強くなかったから、プロを意識したことはほとんどなかった。チームでは目立っていたけど、他と比べたわけではないからね。
野球で生きていけると思った瞬間
駒田:だけど、1年春の県大会で、県内屈指の強豪・郡山高校と当たったときに、アンダースローのピッチャーからレフトベース直撃の2塁打を放ったんです。強いチームにはスカウトが来てるから、たまたま彼らの目に止まったみたい。当時から身長は185cmあったし、高2の頃には、プロにいけるかなんてわからないけど、野球で生きていけるんじゃないかって思うようになりました。
ドラフト当日は授業を受けていて、当時は教室にテレビがないから、指名されたら廊下に呼び出された。校長室に連れて行かれ、「おめでとう」って。ジャイアンツに指名されたことは想像以上に大きなニュースで、自分以上に周囲が心配してくれました。
なんせ当時の巨人はとにかく強かったから、入団するかどうかも悩みました。でも4年後に大学を出て、巨人に指名される確率なんてほとんどないわけで、このチャンスを逃すわけにはいかないって。