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元巨人投手から“タマネギ農家”に転身「売れずに10トン廃棄したことも」

ビジネス

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、無観客試合で行われたプロ野球のオープン戦が終了した。開幕の日程が決まらないなど異例づくめだが、活躍が期待される注目ルーキーも複数現れた。

野球場

※画像はイメージです

 毎年、ドラフト会議を経て約100人の新人選手が誕生する。しかし、その裏では、ほぼ同数の選手が戦力外となってひっそりと球界を去っている。そして、一般人となった彼らの “第二の人生”に思いを馳せる人は少ない。

変化するプロ野球選手のセカンドキャリア

 プロ野球を統括する日本野球機構(NPB)では、2011年から現役若手選手に「セカンドキャリアに関するアンケート」を行っている。その調査結果に、近年大きな変化が起きた。

 2017年までは引退後に「やってみたい仕事」の1位は「高校野球指導者」(2012年は2位。1位は「プロ野球指導者」)だったが、2018年は「一般企業会社員」、2019年は「会社経営者」が初めて1位を獲得した。

 その一方で、引退後の進路について「考えていない」は4割を占め、「回答なし」も含めると過半数の選手がセカンドキャリアを思い描けていない現実がある。

元アスリートは会社員に向いている

河野博文さん

現在は無農薬タマネギの生産販売に従事する河野博文さん

 1985年から2000年まで日本ハム、巨人、ロッテで投手として活躍し、現在は有機栽培の農産物を生産販売する株式会社げんちゃん代表取締役の河野博文さん(57)は、意外にも「ビジネスでも活躍できる素質を持っている元プロ野球選手は多い。会社員はセカンドキャリアとして全然ありだと思います」と断言する。

「学生時代から野球に打ち込み、先輩・後輩の関係性の中で育ってきているので、礼儀作法がしっかりと身についている。これは野球に限らず、アスリート全般に言えることだと思います。結局はビジネスにおいても、きちんと挨拶ができるかどうかが一番大事なんですよ」

独立リーグでのコーチ経験が転機に

 現役時代の河野さんは、北京原人に似た風貌から“げんちゃん”の愛称で親しまれ、日ハム時代の1988年には先発・リリーフ兼任で活躍し、最優秀防御率(防御率2.38)を獲得。

 1995年オフにフリーエージェントで巨人に移籍し、翌年にはセリーグの初代最優秀中継ぎ投手(39試合登板、6勝1敗3セーブ)に輝き、リーグ優勝に貢献した。引退後は2008~2009年に独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスでコーチを務め、この経験が事業を始める転機となった。

「群馬に2年間いたのですが、本当にいいところなんですよ。お世話になった群馬に恩返しがしたい、何か地域貢献ができないかと考えていました。そして、地元のいろんな方と知り合う中で、すごくおいしい無農薬タマネギを作っている農家の方と出会い、これだと惚れ込みました。

 僕の実家は高知県の理髪店ですし、農業なんて全く経験がなかったので、一から教えてもらっての挑戦でした」

ユニフォームを着て営業活動に精を出す

タマネギの収穫

元野球選手なのに飾らない人柄も魅力のひとつ(写真提供/株式会社げんちゃん)

 2013年に株式会社げんちゃんを設立し、無農薬タマネギの生産販売に乗り出したが、農業はもちろん商売もずぶの素人。

「最初は全く売れず、大赤字でした。せっかく作ったタマネギを10トンも廃棄しました。畑で自分たちで潰したのですが、本当に悔しかった。当たり前ですが、商売はいい物を作るだけではダメ。売り先があってのことなのだと骨身に染みました」

 その後は販路を確保すべく、巨人時代のユニフォームを着て、自らスーパーの店頭販売に立つなど地道な営業活動を続けた。

「最初はユニフォームを着ていないと、誰だか気づいてもらえなかったんですけどね。今では私服で歩いていても、地元のおばちゃんたちから『タマネギの人でしょ』って声をかけられるんですよ(笑)」

野球のおかげで顔を知ってもらえた

 一流プロ野球選手が、片田舎でまさかの客寄せパンダ。プライドが傷つくことはなかったのか。

「そんなこと全くなかったですね。現役中はちやほやされますから、勘違いしていたら、そう感じたかもしれませんけど。ニックネームの“げんちゃん”だって、日ハム時代に先輩の坂巻明さんが『お前、北京原人に似ているな。今日から“げん”だ!』って呼び始めたわけですが、全然腹は立ちませんでしたよ。

 むしろ選手登録名にしたかったのですが、不謹慎だと却下されてしまって(笑)。実は引退直後に、妻の親戚の不動産屋さんでお茶くみをしていたこともあるんです。お茶を出したら、お客さんが『えっ、げんちゃん?』って驚いていましたね。

 タマネギの店頭販売だって、こちらからお願いしているのに、逆にスーパーの店長さんの方から挨拶に来てくれますし、野球のおかげで顔を知ってもらえていて、むしろラッキーですよ」

うれしかった長嶋茂雄さんからの連絡

タマネギの収穫

河野さんの周りには自然と人が集まる(写真提供/株式会社げんちゃん)

 超自然体の愛されキャラは群馬でも歓迎され、取り扱い店舗は次第に増加。さらに、球界からの応援の輪も広がった。「ある日、長嶋茂雄さんが『げんちゃん、久しぶり。元気でやっているか。タマネギ始めたんだってね』とお電話くださったんです。急いで段ボールに詰めてお届けしましたよ。本当は桐箱でお持ちしたいくらいでした。本当にうれしかったし、ありがたかったですね」。

 巨人時代の恩師・長嶋さんをはじめ、ソフトバンク監督の工藤公康さんらも「げんちゃんタマネギ」を愛用しており、次第にテレビなどでも取り上げられるように。現在は自ら栽培するほか、契約する農家が生産するタマネギも販売し、年商1500万円まで事業が拡大した。

 子供の頃の夢は「プロ野球選手になること」。それは叶えた。自身の想像を超える結果も残せた。そして、今は新たな夢がある。「タマネギに加え、3年前から長ネギも生産しています。

 現在は群馬だけですが、契約農家さんを全国に広げて、様々な無農薬野菜を販売したいと考えています。野球OBは各地にいるので、野球人脈を活かして事業を拡大し、全国の農業を活性化させたいんですよ。野球とも絡めたら、地域がもっと元気になると思うんです」

企業に就職するのもひとつの選択肢

 野球だけでなくビジネスでも成功を収めた河野さんは、現役選手たちに「現役中にセカンドキャリアを考えるのは難しいでしょうし、逆に野球に集中しろと言われてしまうとも思う。でも、今の時代はやはり漠然とでも考えていた方がいい」とアドバイスを送る。

「戦力外になっても、若ければ独立リーグなどで再チャレンジするのもいい。でも、いずれ引退する時はくるし、その先の人生の方が長い。若ければ若いほど、やり直しは利く。

 何事も野球と同じように一生懸命に取り組み、そして周りの意見に耳を傾けることです。僕も周囲の助けがなければ、事業なんてできなかった。

 いきなり事業を起こすのは絶対にやめた方がいいが、将来的な起業を視野に入れつつ、企業に就職してビジネススキルを磨くのは一つの選択肢だと思います」

<取材・文・写真/中野龍>

1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿

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