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球団は「前代未聞だ」。22歳の中日選手が1年で引退した理由

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 かつては「転職するなら、とりあえず3年働いてから」と言われたものだが、現在では早々に会社の将来に見切りをつけ、新たな道を歩む若者は珍しくない。

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※画像はイメージです

 それが旧態依然とした会社やブラック企業なら、なおさらだ。こうした価値観の変化はビジネスの世界だけでなく、プロ野球界でも起きている。

「前代未聞」と言われた

呉屋さん

呉屋開斗さん

 元中日ドラゴンズ投手の呉屋開斗さん(22歳)もその一人だ。八戸学院光星高校のエースとして活躍し、2014年春夏、15年春と3季連続で甲子園に出場。15年のドラフト会議で中日から育成枠で5位指名された。しかし、ケガや故障があったわけでもないのに、指名から1年も経たずに自らの意志で退団してしまった。

「戦力外通告された形になっていますが、16年夏に自分から『退団したい』と球団社長に直接電話をかけて伝えました。育成とはいえ、入団すればプロとして扱われますし、基本的に3年間は面倒を見てもらえます。それなのに自分から辞めるなんて『前代未聞だ』って言われました。周囲には事後報告だったので、親や高校の監督、担当スカウトからも激怒されました」

 退団を決意するまでに一体何があったのか。ボタンの掛け違いは入団前からあった。

「高校の監督の勧めでプロ志望届を一応出していたのですが、大学に進学して、しっかりと実力をつけてからプロを目指すつもりでした。指名されるなんて想像していなかったので、ドラフト会議当日はジャージ姿で、のん気に学食でご飯を食べていました。すると、『今すぐ制服に着替えろ』と言われ、まさかの指名を受けたんです。本当にびっくり仰天でした」

進学志望だったが、周囲の期待に応え…

呉屋さん

2015年のドラフトで育成枠にて5位指名された(提供:呉屋さん)

 本心ではプロ入りを辞退し、大学への進学を希望していた。しかし、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかったという。

「親をはじめ周りの人たちは大喜びでしたが、僕の気持ちは真逆でした。うれしい気持ちよりも、すぐにプロでやっていけるのか不安のほうが大きかった。断れるのであれば、断りたかったです。でも、プロ志望届を出していたし、監督にも迷惑をかけるわけにはいかないので、辞退したいとは言えませんでした」

 もやもやした気持ちを抱えたまま入団し、キャンプがスタート。「体力的には問題なく練習についていけたのですが、やはり技術面では明らかに劣っていました。さらに、最初からメンタルがふらついていたせいもあり、全くうまくいきませんでした」

プロ入り後に心境の変化が

 退団を決意したのは、実力差だけはなく、子供の頃から憧れていたプロ野球の現場での心境の変化でもあった。

「コーチの方々は親身になって面倒を見てくださいました。しかし、成功するプロ野球選手はひと握り。また、あまりにも華やかな世界であったため、高校卒業したての自分にとっては刺激が強く、将来のことも考えると段々と先行きが不安になりました」

 時間が経つにつれ、彼のやる気は徐々に削がれていってしまう。

「プロは自ら道を切り拓いていくものですし、当時の僕は考えが甘かったと思います。多くの方にサポートいただいたのですが、自分自身と向き合った結果、新しい未来を考えるようになっていきました」

 小学生から野球だけに打ち込み、地元の兵庫を離れて青森に野球留学したのも周囲の大人が決めたこと。プロ入りも敷かれたレールに乗っただけ。人生で初めて、自ら下した決断が「退団」だった。しかし、ここから本当の彼自身の人生がスタートした

現在はストレッチの専門店に勤務

呉屋さん

同僚たちと撮った1枚。前列中央が呉屋さん。野球で培ったチームワークを遺憾なく発揮(提供:株式会社フュービック)

 プロ契約が切れた翌月の17年1月に、知人の紹介でストレッチ専門店「Dr.ストレッチ」を展開する株式会社フュービックに入社。アスリートの経験が生かせること、そして同社では発展途上国の子供たちに夢と希望を届けるスポーツ支援「野球キャラバン」を行っていることが入社の決め手だった。

「ストレッチを通じてお客様の筋肉の質を向上させ、肩や腰の不快感、疲労に悩まない体づくりのお手伝いをしています。お客様とのコミュニケーションも大事ですので、ストレッチの技術だけでなく、世の中のことも知らなくてはなりません。野球しか知らなかったので、まず毎日ニュースを見ることから始め、筋肉のこともイチから勉強。入社して1年くらいは本当に苦労しました」

プロ時代にはないやりがいが

呉屋さん

真剣な面持ちで担当編集に施術する呉屋さん

 自ら新たな世界に飛び込んでから3年半が経過した現在、呉屋さんは東京・神田のオフィス街の一角にある「Dr.ストレッチ神田店」の店長として勤務している

「当社では社長や上司が昇進を決めるのではなく、すべてのポジションが立候補制で、全社員の投票で決めるんです。19年に2回目の立候補でスナモ南砂町店の店長に選ばれ、今年7月からは新たにオープンした神田店の店長を任されました。昨年はインドネシアでの野球キャラバンにも参加でき、プロ時代にはなかった大きなやりがいを感じています。

 学生時代は野球しか取り柄がなく、勉強なんて大嫌いだったんですけどね。今はもっと経験を積んで、将来的にはフュービックの代表取締役社長の黒川(将大)が行っている経営者塾での学びも活かして、将来的には経営者を目指したいと思っています

 自らの意志で未来をつかみ取る。呉屋さんはビジネスの世界で、野球では実現できなかったことを叶えようとしている。

<取材・文・撮影/中野龍>

1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿

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